【小話】TIMBRES side-R

白く細い一筋の光を瞼に感じて、嶺二はゆるりと右手を顔にかざした。
まぶしいというよりは刺すような白い光。
バルコニー側のカーテンの隙間から差し込むその光の強さは、時が既に正午近くであることを示していた。
(昼か…)
今日はオフだから…と、スタッフに頼んでダビングしてもらった、3日前に行ったライブツアーの地方公演の資料用映像を明け方まで見ていた。
次は翌週末に迫った千秋楽。
4人で行っている初めての全国ツアー、その最終公演に向けて、まだできることがあるはず、もっとブラッシュアップできるはず。
そう思って見始めた映像だったけれど、気になったポイントを一通り書き出した後に仕事のスイッチをオフにして最初から通して見ていたら、気が付いたら日が昇り始めていたのだ。
(カーテン、ちゃんと閉めてなかったっけ…)
普段からショートスリーパーではあるのでそこまで不快な目覚めではなかったものの、いつもよりは気持ちよく眠りにつけていたので嶺二はかざした手の下で少しだけ顔をゆがめた。

「いってきまっす」
誰もいない部屋に向かってそう声をかけ、ドアを閉める。
あの後、目が覚めてしまったなら仕方ない…とベッドから抜け出し、簡単に身支度を整えた。
昆虫の名前がついた車種の愛車に乗ってマンションの駐車場を出たところで、さてどこに行こうか…と考えたけれど、思い付くのはただひとつ。
「…行きますか!」


嶺二は目的地より数区画離れたところの駐車場に車を停めた。
その近くにお気に入りのカフェの系列店があったからだ。
さくっとテイクアウトでブラックコーヒーを頼み、店を出てゆっくり歩く。
周りに見える景色はどれも無機質なビルばかり。
平日の昼時とあって行き交う人は多いけれど、誰もかれもが忙しない様子なので誰も嶺二に気付く様子はない。
良いのか悪いのか。
僅かに自嘲しながらビル街を抜けたところに、嶺二の目的地はあった。
ここだけは土日の喧騒が嘘のように、周囲のビル街から取り残されたように、静けさを纏っている。
対に建てられているガラス張りの複合施設。
間に敷かれている広場の中で、嶺二は一番端の施設が見える位置のベンチにゆっくりと腰を下ろした。

手にしていたブラックコーヒーを少しだけ口にする。
苦さはいつも通りのはずなのに、やけに喉がざらつく感覚が残る。
(柄にもなく緊張してるのかな、僕は)
施設を見上げ、目を細める。
そう、翌週末には、ここに4人で。
ここに。

こに…。

ここは…。
あいつと…。

不意に、若い男性たちの笑い声が耳に飛び込んできた。
弾かれるように嶺二が振り向いた先には、制服姿の高校生の集団があった。
修学旅行か、それとも午前授業での帰りなのか。
楽しそうに通り過ぎていく高校生たちから、嶺二は目を離せなくなった。
ぼんやりと頭の中に浮かんでいた何かが、はっきりと形を見せた。

そう、ここには、あいつと。
約束をしたんだ。

「いつか一緒に、ここのステージに立てるようになろうな!」


今でも鮮明に蘇る、あの日の言葉。声。
何気ない約束。
半分はその場のノリで、半分は本気で。
あの頃いくつも積み上げた夢の約束の一つ。

もう叶うことはない、約束の一つ。


「ははっ」
何気なく漏れた乾いた笑い声と共に、嶺二は空を仰いだ。
新芽がつきはじめた木々の向こうに青空が見えた。
わかっている。自分でもわかっている。この気持ちを抱えたまま、今のメンバーとステージに立つなんて。
だけれども、その日が近づくにつれて自分の中で強く、あの時の言葉が、声が、蘇ってくるような気がして。
ここにくれば、少しは何かが解決するんじゃないかとそう思って来てみたけれど…。
「は~あっ」
もう一度力なく笑って、嶺二は目を閉じた。

 

「……嶺二」

不意に脳裏に浮かんだのはあの日のあいつ。

「ねえ、嶺二」

翻り、僕は今の姿をしていて。

「君には、君だけの音色を奏でて欲しいんだ」

手を伸ばしてみたけれど、ほんの数センチ届かないところにあいつはいて。

「もう君にはいるよね、大切な仲間。あの頃からは考えられないくらいの沢山のファンも」

声だけを残して、あいつは少しずつ姿を溶かしていく。僅かに微笑みながら。

「今を生きて。そして、君たちの音色を奏でて。ステージ、楽しみにしてるから」

待って、まだ話したいことが…!
あいつを呼び止めようとして、思わず喉に手を当てた。
僕の声は出なかった。

「ね、嶺二」

あいつの姿が見えなくなってからも、僕を呼ぶ声だけが繰り返し、繰り返し…。

 

「ねえ、レイジ!」

頭上から注ぐ強い声に、嶺二は目を見開いた。
「え……?あ、アイアイ?」
嶺二の目に飛び込んできたのは、ひどく不機嫌そうな表情をした藍で。
「どったの?ていうか何でここにアイアイがいるの?」
藍はすいっと目線を逸らすと、ぶっきらぼうに答えた。
「別に。たまたま通りかかったら、上向いたまま寝てる嶺二がいたから」
「えっ!?僕ちん寝てないよ?ほんの1、2分目をつぶってただけだし!」
「寝てるように見えたの!」
「ていうか、何でそんな怒ってるの?」
嶺二は素朴な疑問を投げてみたものの、藍は目線を逸らせたままで。
「…別に。レイジに言う必要ない…」
僅かに頬を膨らませるその姿は、怒っているようにも、拗ねているようにも見えた。


もう君にはいるよね、大切な仲間。


脳内に響いた、藍とよく似たあいつの声。
そうだ、そうだよ。僕には今を、これからを、一緒に駆け抜けていく大切な仲間がいる。
このステージに一緒に立つのは、共に戦い、歌い続けていこうと決めたあの3人。

ふっ、と軽く息を吐いて、嶺二は立ち上がった。
「ごめん、アイアイ」
その言葉に、弾かれたように藍は振り返る。
「この会場には思い入れがあってね。4人で立つ前に、どうしても一人で来たかったんだ」
藍は何も言わずにただ嶺二を見つめている。
「でも、まさかそこでアイアイと会うなんてね。びっくりしちゃったけど…でも、そういうことなんだと思う」
「そういうこと?」
うん、と嶺二は一つ頷いた。
「僕がここに一緒に立つべき人は、ランランとミューちゃんと、アイアイ。QUARTET NIGHTの4人なんだって」
僕は、QUARTET NIGHTの寿嶺二だから。

僅かな間を挟んで、藍は盛大な溜息を洩らした。
「当たり前でしょ。嶺二、頭でもぶつけたの?それともソロでここのステージ踏むつもりだったわけ?」
いつもの調子に戻った藍の口調に、嶺二は無意識に笑顔になった。
「それはそれでいいけどー、でもやっぱまずはカルナイでライブやりたいじゃん!」
「ていうかやるけどね、数日後」
「うんうん!あ、アイアイも今日オフだよね?ここで会ったのも僕たちの縁だし、これからライブの打ち合わせしようよ!」
「は?オフなのになんで?意味分かんないんだけど」

いつもと変わらないアイアイが目の前にいて。
今ここにはいないけれど、大切な仲間がいて。
今の僕が、ここにいる。

そう、決めたんだ。僕はこの4人と共に歌い続けるんだって。

昔の約束はもう果たすことはできないけれど。
昔の自分達に胸を張って、これが今の僕で、これが今できる最高のステージだと言えるように。
あいつもきっとどこかで、観ていてくれるだろうから。

去り際、一度だけ嶺二は振り返った。
そこにはもう高校生たちのはしゃぐ声はなく、空を仰いだベンチには別の誰かが座っていた。